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​Artist Statments

 秋田公立美術工芸短期大学(現•秋田公立美術大学)でガラス工芸を学んだ私は、形や色を自由に扱え、透明で美しく、表面加工によって様々な表情をみせるガラス素材の魅力を知りました。卒業後は2007年に地元の宮城県気仙沼市に戻り、作品作りを続けてきました。

 2011年3月11日に東日本大震災が発生し、気仙沼も大きな被害を受けました。

当てはまる言葉が見つからないような沢山の悲しみを身近に感じる中で、少しずつそれまでの価値観が崩れてゆくのが分かりました。

 それ以前は、自分の内面と対話して自分の世界観を表現することに疑いを持たずに作品を作ってきました。しかし社会的に見たとき、作品を作るということに価値を見出すことができなくなり“作品を作ることに何か意味があるのだろうか?”という言葉が少しずつ頭の中で膨らんでゆきました。

ものづくりという孤独な作業にもし意味がないのだとしたらと考えると、それまで大切にしていた作品と向き合う時間が怖くさえ感じられるようになりました。その頃の作品を振り返ってみると、まるで不協和音のような色や形の作品が出来ることもありました。

そんなある日、私の様子を気にかけてくれた知人が、“私の作品を音にしたらこんな音かもしれない”というメッセージと共に、石琴という石をばちで叩いて鳴らす小さな楽器を送ってくださりました。一体どんな音がするのだろうと興味を惹かれて叩いてみると、鉄琴の音を少し温かみのある音にしたような綺麗な音がしました。弱く叩くと可愛らしく、強く叩くと深く芯のある音が空気を伝って頭の中に響き、気がつくともう少し綺麗に響かせたい、次はメロディーにしようと夢中になっていました。まるで、水滴が石の上に落ちて音を出したかのような澄んだイメージが沸き上がってきて、自然の作り出した石の音の美しさに心が満たされてゆくのが分かりました。そして、この沸き上がるイメージを作品に込めたいという気持ちが私の制作の源であり、喜びだったということを改めて思い出すことが出来ました。きっと石琴は、音叉のような役割で凍り付いてしまった私の感覚を調律してくれたのだと思います。

 私は3歳から14年間ピアノを習っており、ピアノを弾いているときは、光や色や形が頭の中で様々に変化をするイメージがありました。ガラスは作品にした後も光によって様々な表情を見せるため、まるでメロディーを奏で続けているかのように感じられて、ピアノを弾いている時の感覚とどこか重なるような気がします。ガラス素材に惹かれるのは、小さい時から親しんできた”音”と繋がりがあるのかもしれません。

 今後もより感覚を研ぎ澄まして、身の回りにある自然の豊かさや生命力、美しさ等を五感で感じながら、少しでも見る人の琴線に触れるような作品作りができたらと考えています。

                                        

                                                                                

菊田 佳代

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